意外と知らない?!あの「ハイタッチ」の感動と悲劇に満ちた起源に迫る!
チームメイトや友達との絆を深める瞬間に欠かせない「ハイタッチ」。
誰もが一度は経験したことがあるはずですが、一体いつ、どこで、誰が始めたのか、考えたことはありますか?
今回は、そのルーツに隠された、知られざるドラマに迫ります!
ハイタッチの誕生秘話:1977年のドジャー・スタジアム
ハイタッチ(またはハイファイブ)の起源にはいくつかの説がありますが、最も有力とされているのは1977年10月2日、ドジャー・スタジアムでの出来事です。
この日、ロサンゼルス・ドジャースの外野手グレン・バーク選手が記念すべき30本目のホームランを放ちました。
ホームベースで彼を出迎えたチームメイトのダスティ・ベイカー選手が、反射的に高く手を上げたバーク選手に応えるように、とっさに手を高く上げて「バチン!」と叩き合ったのです。
この瞬間が、史上初の「公式記録付き」のハイファイブだとされています。
元々は、黒人文化に「ローファイブ」(腰の低い位置で手を叩き合わせる)という文化があったとされており、ハイファイブはそれを立体化したものだという説もあります。
そして、このドジャースの試合は全米にテレビ中継されていたため、瞬く間に少年野球の間で定番のジェスチャーとなりました。
スポーツ界、そして日常生活への広がり
ハイタッチの広がりは野球に留まりませんでした。
- 1979年には、NCAA大学男子バスケットボールのルイビル・カーディナルズのワイリー・ブラウン選手とデリック・スミス選手が、高い位置でのハイタッチを披露。これをきっかけに、バスケットボール界にも一気に浸透していきました。
- 1980年代に入ると、MTVの映像や、**トム・クルーズ主演の大ヒット映画『トップガン』**でハイファイブが連発されたことで、日常的なコミュニケーションとして広く一般に浸透していきます。
- そして、日本には1980年代後半にMLBやNBAの中継、特にマイケル・ジョーダン選手の活躍とともに紹介され、ブームとなりました。この際、「ハイファイブ」という英語から、日本独自の「ハイタッチ」というカタカナ言葉が定着したと言われています。
悲劇のハイファイブ生みの親:グレン・バーク選手の物語
ハイタッチの生みの親として知られるグレン・バーク選手(1952年カリフォルニア州生まれ)は、俊足強肩で「次世代の外野手」として期待されていました。しかし、彼のキャリアには悲しい側面がありました。
バーク選手は、MLB史上初の「オープンリー・ゲイ(自身がゲイであることを公表した)」選手として知られています。1970年代当時、メジャーリーグ界にはまだ差別的な環境が残っており、そのことが彼のキャリアに大きな影響を与え、わずか通算225試合で現役生活を終えることになります。
ドジャースを退団した後も、彼は「ハイファイブ・アンバサダー」として草野球や地域イベントでハイファイブの普及に貢献しました。しかし、この偉大なセレブレーションの生みの親が、その功績を全く称えられることなく、むしろ差別によってキャリアを絶たれたという事実は、ハイタッチの歴史における悲しい一面として語り継がれています。
他の起源説と、なぜドジャース説が有力なのか
ハイタッチの起源には、他にもいくつかの説が存在します。
- 前述したルイビル・カーディナルズのブラウン選手とスミス選手による説(1978-79年シーズン)。当時の記事が多く残っており、信頼性は高いですが、ドジャースの出来事より1年後のことになります。
- 女子バレーボール説:なんと1960年代には存在したという説ですが、記録が残っていないため、信頼度は低いとされています。
- マジック・ジョンソン選手(レイカーズ)が1979年に始めたという説。これは彼自身の主張に基づくもので、信頼性は低いとされています。
これらの説がある中で、今回ご紹介した1977年のドジャースでのベイカー選手とバーク選手のハイファイブが最も信頼度が高いとされるのは、テレビ映像として記録に残っており、当時の記事にもなっているためです。もちろん、それ以前に誰かが個人的にハイタッチをしていた可能性は否定できませんが、現存する最古の確かな証拠はドジャースでの出来事だと考えられています。
次にハイタッチするときは、この物語を思い出して
偶然から生まれたハイタッチは、スポーツとメディアの力で瞬く間に世界中に広がり、私たちの日々に喜びをもたらしてくれました。しかしその裏には、グレン・バーク選手という一人のアスリートの、少し悲しい人間ドラマがあったことを知っていただけたでしょうか。
次に仲間や友達とハイタッチをする時には、ぜひ、このグレン・バーク選手の物語を思い出してみてください。そして、彼の功績に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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